ウーパールーパーの感想文

エンターテイメントを考えてみる

スポンサーリンク


カッコイイってダサいこと? 「桐島、部活やめるってよ/朝井リョウ」から考える

カッコイイとは何を指すのか。

桐島、部活やめるってよで描かれているカッコイイは次のようになっている。

 

・見た目がいい。

・大きな努力をしなくても、ある程度なんでもできる。

 

 

逆にダサいとは、

 

・見た目が悪い

・必死になりすぎている

 

 

見た目って、大事なことだ。

ただここで言いたいことは、そんなことではない。

努力しなくてもできることってカッコイイことなのか。

必死になるってダサいことなのか。

 

例えば、何も打ち込めるものがない人間。

何かに夢中になっている人間。

何も打ち込めるもののない人間って一般的に魅力がない人間に思える。

何かに夢中って人間は魅力的に思える。

ただ、この何にも打ち込めない人間の年収が1000万だと思うと、急に魅力が出てくる。

何かに夢中で、一生懸命やってもフリーターだと考えると魅力が失せてくる。

 

学生にとって容姿、学力、運動神経って、社会人にとっての年収ぐらい大事に思える。

 

ただ年収が高ければ、幸せか?

社会的に見たら、幸せでしょう。

 

しかし、桐島、部活やめうってよで登場するいわゆる「カッコイイ」人物は自分に対して苛立っていた。

「ダサい」側の人間が、夢中で自主制作映画を作っている姿を見た瞬間から。

周りの評価や笑われたって好きなことを好きな仲間とやっている。

間違えなく評価は「カッコイイ」側の人間のほうが高い。

しかし、「ダサい」側の人間に対して自分に虚しさを覚える。

何も好きなことがない自分に。

そして自分に恐怖と同時に恐劣等感を覚える。

 

自分より社会的に価値が高くなるかもしれない、という恐怖を覚える「カッコイイ」人間。

また、劣等感が攻撃性に変わる。

社会にでれば、年収の高い人間が、生産性の低いフリーターを社会的に価値がないように扱う。

学校であればいじめだ。

 

 

こうやって考えていくと「カッコイイ」人って「ダサく」思える。

ただ社会を作っているのは、「カッコイイ」側の人間だ。

「カッコイイ」側の人間は、しっかりお金を稼ぎ、経済を動かす。

そして「カッコイイ」側の人間についていく一般大衆。

「ダサい」という脅威は、社会から排除される。

 

 

本当の「カッコイイ」。

これは、「ダサく」ても、夢中な何かをできていることなのかもしれない。

間違えなく「ダサい」人間は、「カッコイイ」人間に簡単についていく一般大衆だ。

 

 

 

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

 

 

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

 

 

この本の感想

axolotl1990.hatenablog.com

 

スポンサーリンク